おもしろ噺 コスタリカで宿が炎上

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コスタリカは中米の小さな国でカリブ海と太平洋に挟まれ、緯度はハワイとマーシャル諸島の中間(赤道の少し上)にある常夏の国です。首都のSAN JOSEから太平洋に向かってバスで約2時間行ったところにプンタレナスと言うしなびた港町が御座います。何時も海風があり、ヤシの葉が風に揺られて素敵なメロデーを聞かせてくれ、桟橋から伊勢えびも釣れます。プンタレナスのペンション<SAN LUIS>に滞在して海岸で泳いでいる時、街の中心付近から凄い勢いで炎が燃え上がります。この町の家屋は木造、一旦火事になると燃え方もすごいなあ~と感心していました。突然、嫌な~予感がして通行人に火元を訪ねると、なんと燃えているのはペンション<SAN LUIS>。大急ぎでペンションに帰ると半分くらい焼け落ちていました。その日は消防署と警察の規制があり焼け跡には入れません、直ぐに家主を探しましが、正に雲隠れ。日はどんどん落ちて行き、素敵なメロディーに聞こえていたヤシの葉の音が暗いメロデイーに変りました。一瞬にして失った物はバックパック、服、靴、カメラ、お金、その他全て、残ったものは短パン、Tシャツ、ビーチサンダル、10ドル- - - -とほほ!(涙が出そう)。夜は何処で寝るか考えなくてはなりません。思い付いた事は新聞紙に包まって砂浜で寝る、学生時代に海岸でよくキャンプをしたし、ここは常夏で寒くなく雨の心配もありません。砂浜を人間型に掘り下げ、海側に砂を盛って海風を防ぎ、上から新聞を数枚被って準備OK。砂と新聞の中で明日からの行動を試行錯誤していると、新聞に物が落ちる音がします。見上げると知り合いの娼婦が小さな石を投げています。<Hei!Japones tu de SAN LUIS?>焼け出された日本人か? 娼婦にレストランに連れて行かれ野良犬のように飲んで食べさてもらい、4週間居候することになります。

翌日、焼け跡に行き泊まっていた部屋の辺りを物色すると、綺麗なカーボンになったパスポート、トラベラーズチェックが発見でき、これがトラベラーズチェック再発行の大きな助けになります。キャノンのカメラはレンズが溶けてガラスの塊、それほどの高熱の中でフィルムのパトロネだけは原型で残っていました(不思議?)。まず手持ちのお金で日本大使館に電話を入れると、パスポートの再発行に警察証明をお持ちくださいと言われ、警察に行くと、火災の証明書だから消防署に、消防署に行くと移民局に、移民局に行くと警察にとたらい回し、男泣き寸前!、もし戦争になったら最初に爆弾を落としてやろうと思いました。再度日本大使館に電話を入れ、現状を説明して助けを求めました。日本大使館から消防署に電話を入れてもらい、やっと火災証明が発行されました。当時はテレクッスの時代でパスポート再発行に2週間かかると説明が御座いました。そして次は証明書とカーボンを持ってアメックスに行き、トラベラーズチェックの再発行の手続き、しかし身分証明書を持たない者には再発行出来ないと拒否されます。ここで大事に持って行ったカーボンで何とかチェック番号が読み取れ、200ドルが臨時支給されました。残りはパスポートが発行され次第受け取れることになりました。この時ほど現金をトラベラーズチェックに替えておいてよかったと自分を褒め称えました。電話をかけるお金も無いので日本とのやり取りは時間の掛かる郵便、ここで困ったことにコスタリカには個人住所が御座いません、これは世界七不思議の一つに該当しないでしようか?! 郵便物の受け取りは郵便局内に設置されている娼婦の私書箱。日本では外務省から実家にMIYAMOTO HITOSHIの身元確認がきたそうです。この時、親父は息子が外地で亡くなったと思ったそうです。元気に生きていて火災でパスポートを無くしたことを連絡すると、何と親父が私の旅行保険を払ってくれていました。その中に火災20万円の保証があることが分かり、日本に火災証明書を送り、20万円をブラジルで受け取ることになります。娼婦が部屋に客を連れ込んだ時は、私は妹に早変わりして、シーツを被って情事が終わるまで待たなければなりません。4週間くらい経ったころパスポートとトラベラーズチェックが受け取れました。その中から日割り計算で娼婦に家賃と食事代を渡しました。お金など要らないから一緒に居てくれと言います。ここは情を断ち切って、兎に角ブラジルまで行きたいことを理解してもらい、コスタリカからパナマのサン・アンドレス島にヒコーキで飛び立ちました。そして必ずブラジルからもう一度帰って来ることも約束してしまいました。