おもしろ噺 ニューヨーク上陸

■このホームページをスペイン語ベースで作ったせいか、日本語文章の改行に不自然が発生することを冒頭でお詫び致します。

 

1980年の1月に日本を出てアフリカ(7ヶ月間)とイギリス(2週間)の放浪旅行をして、8月末にニューヨークにたどり着きました。ニューヨークではケニア(アフリカ)で知り合った佐藤さんを頼りに行きました。佐藤さんのアパートに到着してブザーを鳴らしても返答がありません。英語も出来ず、アメリカ文化も知らない私の心臓はドキドキ破裂しそう!、極度の不安から小と大を漏らす寸前。何とか冷静さを取り戻してケニアで伺った話を反芻しました。確か佐藤さんは<紅花レストラン>で板前をしてることを思い出しました。それなら帰りは22:00か23:00頃だろうと予想して、近くのレストランに入り何か食べて待つことにしました。しかしメニューを見てもさっぱり分からず、唯一分かったのが<HUNBRGER>でした。それを注文して延々と5時間くらい待ちました。しかしレストランは22:00閉店で無理やり追い出されました。何処かに座って待てば良いのですが、ホールドアップが怖い、不安の塊で何処にも行けません。22:15ころ再度アパートを訪れましたが返答なし、正に途方に暮れて30分くらい建物の前で待っていると佐藤さんが帰って来られました。この時は正に九死に一生を得た安堵感が込み上げてきました。

海外旅行をして発見したのは、何処に行っても日本人とドイツ人旅行者がいました。そんな訳でアフリカ放浪中に海外でのサバイバル情報が殆ど入手できました。例えばロンドン、ニューヨーク、ペルー、チリなどには日本人経営のペンションがあること。その他殆どの都市に日本人の溜まり場安宿があること。アフリカの7ヶ月間で持ち金を使い切ってしましました。日本出発前はお金が無くなったら日本に帰る予定でした。しかし折角、海外へ脱出、出来るものならアルバイトをしてもう少し旅行したい願望がございました。これが、そもそも人生の変換の始まりでした。アフリカで聞いたアルバイト情報はロンドン、ニューヨーク、スエーデン、イスラエルもしくは針金士(針金を使って自分でアクセサリ-を作る)。これらのアルバイトは労働許可書を持たない旅行者用のものです。よってロンドンとニューヨークは日本レストランくらいしかありません。ロンドンは皿洗いかキッチンヘルパー、曖昧な記憶ですがロンドンの皿洗いで一週間60ポンド、ウエイターで80ポンドくらいだったと思います。

そしてニューヨークの皿洗いが一週間150ドル、キッチンヘルパーが200ドル、ウエイターが500ドルとも聞きました。何も持たない不法労働で月に2.000ドルも稼げるなんて信じがたい金額です。この当時のレートは1ドル=240円でしたから、ウエイターをすれば月に48万円稼げることになります。最終的には、この夢のような話を掴みにニューヨークに行くことを決心しました。またこの頃は花の都パリからRICH&FAMOSのニューヨークに流行の拠点が変遷しつつありました。私もチャンスあらばアメリカでお金持ち&有名になり<アメリカンドリーム>を掴みたいと言う情熱と希望が御座いました。この時は新天地に求める希望3割と恐怖心7割くらいでした。

佐藤さんのアパートが2ベッドルームでしたので、その内のワンルームを間借りすることになりました。ニューヨーク到着の翌日から仕事探しとベッド探しです。佐藤さんからベッドは通りに沢山捨ててあるから拾って来なさいと言われました。半信半疑で外に出ると、何と3ブロックに1個くらいは捨ててあります。状態の良さそうなのを持ち帰り部屋とベッドは準備完了です。さて次は仕事探しです。佐藤さんから日本書店とコーヒーショップが一緒になったお店を聞き出かけると、ここが日本人の溜まり場になっており、壁に沢山の求人広告が御座いました。その中からいくつかメモを取って、最初に入ったのが<きよこ>レストランでした。運よく1軒目で皿洗いのアルバイトが見つかりました。皿洗いは二人で相棒がメキシコの若き青年でした。私も彼も英語が出来ず片言のスペイン語で励ましあいながら働きました。給料は一週間150ドルだったような記憶があります。皿洗いは給料が安く大変な仕事でした。毎日沢山の皿を洗っていると手がふやけて皮がむけてボロボロ。皿洗いで4週間が過ぎたころキッチンヘルパーの秋山さんから、日本人は皿洗いはしない、最低でもキッチンヘルパーをすると言われました。と言われても包丁を持ったことも無し、料理経験はゼロです。それでも秋山さんの推薦でヘルパーのヘルパーにランクアップ出来ました。秋山さんから初歩的なネギの切り方、味噌汁の作り方、とんかつの作り方などの手ほどきを受けました。そんな生活の中でウエイターのHIYAMAさんからウエイターはチップが入るからもっと稼げると聞きました。夢にまで見た週給500ドルの生活です。キッチンヘルパーをする傍ら、時間が出来ればウエイター職を探して日本レストランを回って歩きました。やっと決まったのが<昼の亀八レストラン>と夜の<利休レストラン>です。面接の時は経験が無いのででたらめをならべました。仕事は決まったものの英語が出来ずウエイター経験もありません。これから生きるため、もう少し旅行をするためにやるしかありません。気持ちは<渡る世間に鬼はなし>。この時は本当に英語に苦労しました。それでも4ヶ月間頑張って6.000ドルを貯めました。そして、そのお金を持って1981年の1月に中南米の旅に旅たちました。収入はチップだけですから当時のウエイターはテーブル乞食とも言われました。

英語の苦労話をいくつか—! アメリカ人は食事の前に必ずカクテルを飲む習慣があり、これにを理解するのが大変です。例えばビーフィターマテイニ、VERY DRY、ストレイトアップ、ツイストetc。酢の物はどんなに酸っぱいですか?日本人ウエイターも殆ど俄か仕込み、そんな訳でフォークを下さいと言われたら聞き間違えてほうきと塵取りを持っていったり、日本人のお客様からおてもとと注文があればそのままキッチンに注文を通して皿に箸を乗せて運んだり。タバコはマルボロとLARKが通じないので、買えるのは<CAMEL>のみ。赤ワインのREDが通じないから何時もWHITE WINEのみ。

私が不法滞在の不法労働で無事に出国出来たことに御不審の方もいらっやると思います。アメリカは移民の国ですから入るときは非常に厳しいです。しかし出るときは一切チェックなし、出国を大歓迎します。上手く捕まらなければ20年あるいは25年不法滞在の方もおられました。但し街中や仕事先で移民官に捕まらない事!