Entries by Barcelona Tatsujin

24/MAY/2016 No046 カタツムリ祭り

 <下の写真>一段目左から人間櫓、大鍋カタツムリ、ゆでた後の掃除。二段目更に大きい大鍋、8.00euroのメニュウー、巨大なカタツムリのオブジェ。三段目カタツムリの形をしたパン、会場の入り口、レリダの町のSEGRE(セグラ)川。   カタツムリ祭り バルセロナから車で西(内陸)に2時間ほど行ったところにレリダと言う人口13万人の小さな町がございます。この町で今年も5月21、22、23日と3日間開催され、人口13万の町に25万人(約2倍の人)が訪れ、およそ13トンのカタツムリが消費されました。 レリダのおもな産業は農業 梨、りんご、桃などのフルーツの生産そして工業。レリダの町の中をSEGRE(セグラ)川という大きな川が流れ、町の丘の上には美しいく威厳のある13世紀の旧大聖堂がそびえ立っています。     このお祭りは1980年に始められたようです。正式名称はAPLEC DEL CARGOL(アプレック デル カルゴル) と言い、 APLECと言うのは実は「お祭り」とは少し意味が違います。我々はAPLECを日常使いますがお祭りの場合には使いません。この言葉は特に宗教的または文化的な事を祝う際に使われる言葉で一定の定められた場所と言う意味があるそうです。カタツムリはスペイン全土で繁殖し消費されます。特に内陸平野であるレリダでは昔から雨のあとに多くのかたつむりがでてきました。それはこの土地の人にとって、現在のように豊富に食料を得られなかった時代、カタツムリは高タンパク低脂肪、カルシウムや鉄分を含んだ貴重な栄養源でした。どこの家庭でもカタツムリは出され、家族が集まるとき友人が来るとき、決まったようにカタツムリ料理でもてなされたそうです。   今年は103チームの同好会がカタツムリを食べ集いました。各同好会はグループ名前入り色別オリジナルT- シャツを着ます。そこで飲み物は御馳走してもらえますが食べ物(カタツムリ料理、パエーリャ、肉、魚料理、デザート。。。)は残念な事に食べる事は禁じられています。それは一般の人々(家族、友人)が作っており、保健所からの許可が下りておりません。観光客には別チケットが発行され、それを購入して大きなホールでプロが作った料理を食べます。 試食券 8€ カタツムリ料理(プラスティックのカップに山盛り入れて)+パン+アリオリソース+飲み物1杯  定食券 21€ 前菜+メイン+カタツムリ+デザート 子供料金 11€ これらのチケットは会場入り口に設置されたインフォーメションセンターで購入できます。お祭りの催し物としては、巨大なカタツムリのオブジェのパレード、子どもたちがカタツムリの衣裳を着て走るタツムリレース、カタツムリの形をしたパンが売られていたり、CASTELLS (カステェイ)と言う人間櫓などが御座います。  

13/MARCH/2016 No032 バルセロナマラソン

    3月13日 バルセロナマラソンが開催されました。参加者30.000人、優勝は2時間09分31秒でエチオピアのDino Sefir選手、快晴に恵まれ最高気温14度、最低気温7度のベストコンデイションでした。                                      

おもしろ噺 イトゥリ山脈の砂金

アフリカに行く前<ピグミーの森>と言う本を読みチャンスがあれば是非訪れたいと強い興味を抱いていました。ナイロビ(ケニア)に滞在して居たとき、日本人の旅行仲間からピグミーの森に流れる川から砂金が取れると聞きました。一か月くらい頑張ればマッチ箱一杯取れて、それがロンドンで10万円程で売れるそうです。急に山師根性が燃え上がってきました。目指すはイトゥリ山脈の砂金。ケニアからタンザニア、ブルンジ、ルワンダ、ウガンダを通りピグミーの森へのルートを取りました。あれから36年が経過したので詳しい地名を覚えていないことをお許しください。ハッキリ覚えているのは、カンパラ(ウガンダ)でUSドルをブラックマーケットで両替(公定レートの7倍?)して、カンパラインターナシヨナルホテルに泊まり豪遊した辺りまでです。ウガンダのナショナルパーク(多分?ルウェンゾリ 国立公園)の中で直ぐ近にカバが沢山見える事を聞き、カンパラからルウェンゾリ 国立公園へ向かいました。バスは1日1便で約5時間、国立公園のバス停で降ろされ、運転手にホテルの場所を聞くと、入り口からホテルまで8kmあり、運が良ければ車が来るかも!? 国立公園の地図を見ると、確かに入り口からホテルまでかなりあります。 1時間くらい待ちましたが車が来るような気配は一向にありません。よお~し歩こう!! 車道があるので迷う事はないでしよう、ただ注意するのは木登りライオン、ライオンが木の上に潜んで、突然襲って来ます。しっかり靴を履いているので蛇もサソリも怖くありません。木の上を注意しながら小走りで辿り着きました。さすがに国立公園内のホテルなので、部屋が綺麗で眺めが素晴らしく、目の前に大きな川があり、そこにカバが沢山やってくるようです。まず、溜まった洗濯物を洗ってベランダに干し、次の洗濯物をしてると背後に生臭い殺気を感じます。振り返ると、1.5mくらいある大きなサルが洗濯物の上に座り、私の顔を見ると身震いし、オシッコをして、さらに部屋に入って来てバックパックを掴み中身を物色します。近くにあったキャンピングガスコンロ、棒、椅子などで脅してもビックリともしません。慌ててフロントの人を呼びに行くと、全然慌てず、何も武器を持たずやってきました。サルは黒い顔を見るなり飛んで逃げました。黄色人種の私は友達、アフリカ人は天敵と思っているのでしようか??。そしてカバは餌付けがしてあり、夕方の6時ころ20頭くらいやってきました。出発の日はバス停まで送ってもらいピグミーの森へと向かいました。 バスの中で如何わしいザイール人と知り合い、しばらく行動を共にすることになります。彼も盛んに砂金の話をして、砂金は国が管理しているから気おつけろ!気おつけろ!、見つかったら刑務所に入れられる。その日の夕方、イトゥリ山脈の麓町に到着、日が暮れてくると町は真っ暗、省エネで夜になると町の電源が全て消されました。見受けるのは暗いローソクの炎と焚火のあかりだけです。翌日、バスに乗って更に人里離れた森の奥へと向かい、途中でバスが掘っ建て小屋に停まります。そこはレストランで全員食事をしなければなりません。150cmに満たないピグミーがフランス語で<ボン・ジュール ムシュ>、タバコをぷかぷか吸って、顔に入れ墨をしています。それもそのはず、ザイール(コンゴ共和国)はフランス領でした。メニューは選べず、出てきた料理は肉の煮込み、肉が筋っぽくて硬いので、なんの肉か聞きましたが、言葉が通じないので分かりません。ピグミーのウエイターが私の手を引っ張って庭に連れ出し、そこに猿の毛皮がぶら下がっていて、それはサル肉煮込みでした。急に体が毛深くなるような気がしました。食事休憩から夕方まで走り、ピグミーが住む小さな部落にたどり着きました。そんな村にも円形藁葺小屋のホテルがあり、取りあえずはそこに落ち着きました。ところが水道はなし、トイレもありません。歯磨きや顔は近くの川の水、トイレはどうしよう?地元の子供に聞くと地面に開けられた丸い穴を指さします。囲いも何もありません、踏ん張って用足しを始めると、子供たちが集まりジーツと見つめています。ウンチは一旦止めて夜にトライすることにしました。懐中電灯で昼間の穴を探し踏ん張ると、なんと夜は蚊の大群が押し寄せ、あちこち刺されて痒い痒い!! 翌朝、如何わしいザイール人の先導で、砂金取りのザルを持った4人組を見つけ同行させてもらいました。男女とも腰巻をしているだけで、上半身は裸、ピグミーの女性の胸当たりに視線が移ると、素早く手で乳房を隠します。私の眼つきがいやらしいのか、ピグミー以外には見せてはいけないのか?それとも女性の本能でしようか。男性は獲物取りの吹き矢とナイフを持ち、女性が麻の食料袋を頭からひもで背中に担ぎます。この日はサルには出会えず野鳥にトライしましたが、残念ながら命中しませんでした。やっと川に到着して砂金取りの手ほどきを受け、夕方まで頑張りましたが、小さな欠片が数個取れただけでした。ピグミーの説明では、この辺りは取り尽くされて、殆ど残っていないと言われました。マッチ箱一杯の夢を諦め先に進むことに決め、イトゥリ山からキサンガニへ向かいました。

おもしろ噺 コスタリカで宿が炎上

コスタリカは中米の小さな国でカリブ海と太平洋に挟まれ、緯度はハワイとマーシャル諸島の中間(赤道の少し上)にある常夏の国です。首都のSAN JOSEから太平洋に向かってバスで約2時間行ったところにプンタレナスと言うしなびた港町が御座います。何時も海風があり、ヤシの葉が風に揺られて素敵なメロデーを聞かせてくれ、桟橋から伊勢えびも釣れます。プンタレナスのペンション<SAN LUIS>に滞在して海岸で泳いでいる時、街の中心付近から凄い勢いで炎が燃え上がります。この町の家屋は木造、一旦火事になると燃え方もすごいなあ~と感心していました。突然、嫌な~予感がして通行人に火元を訪ねると、なんと燃えているのはペンション<SAN LUIS>。大急ぎでペンションに帰ると半分くらい焼け落ちていました。その日は消防署と警察の規制があり焼け跡には入れません、直ぐに家主を探しましが、正に雲隠れ。日はどんどん落ちて行き、素敵なメロディーに聞こえていたヤシの葉の音が暗いメロデイーに変りました。一瞬にして失った物はバックパック、服、靴、カメラ、お金、その他全て、残ったものは短パン、Tシャツ、ビーチサンダル、10ドル- - - -とほほ!(涙が出そう)。夜は何処で寝るか考えなくてはなりません。思い付いた事は新聞紙に包まって砂浜で寝る、学生時代に海岸でよくキャンプをしたし、ここは常夏で寒くなく雨の心配もありません。砂浜を人間型に掘り下げ、海側に砂を盛って海風を防ぎ、上から新聞を数枚被って準備OK。砂と新聞の中で明日からの行動を試行錯誤していると、新聞に物が落ちる音がします。見上げると知り合いの娼婦が小さな石を投げています。<Hei!Japones tu de SAN LUIS?>焼け出された日本人か? 娼婦にレストランに連れて行かれ野良犬のように飲んで食べさてもらい、4週間居候することになります。 翌日、焼け跡に行き泊まっていた部屋の辺りを物色すると、綺麗なカーボンになったパスポート、トラベラーズチェックが発見でき、これがトラベラーズチェック再発行の大きな助けになります。キャノンのカメラはレンズが溶けてガラスの塊、それほどの高熱の中でフィルムのパトロネだけは原型で残っていました(不思議?)。まず手持ちのお金で日本大使館に電話を入れると、パスポートの再発行に警察証明をお持ちくださいと言われ、警察に行くと、火災の証明書だから消防署に、消防署に行くと移民局に、移民局に行くと警察にとたらい回し、男泣き寸前!、もし戦争になったら最初に爆弾を落としてやろうと思いました。再度日本大使館に電話を入れ、現状を説明して助けを求めました。日本大使館から消防署に電話を入れてもらい、やっと火災証明が発行されました。当時はテレクッスの時代でパスポート再発行に2週間かかると説明が御座いました。そして次は証明書とカーボンを持ってアメックスに行き、トラベラーズチェックの再発行の手続き、しかし身分証明書を持たない者には再発行出来ないと拒否されます。ここで大事に持って行ったカーボンで何とかチェック番号が読み取れ、200ドルが臨時支給されました。残りはパスポートが発行され次第受け取れることになりました。この時ほど現金をトラベラーズチェックに替えておいてよかったと自分を褒め称えました。電話をかけるお金も無いので日本とのやり取りは時間の掛かる郵便、ここで困ったことにコスタリカには個人住所が御座いません、これは世界七不思議の一つに該当しないでしようか?! 郵便物の受け取りは郵便局内に設置されている娼婦の私書箱。日本では外務省から実家にMIYAMOTO HITOSHIの身元確認がきたそうです。この時、親父は息子が外地で亡くなったと思ったそうです。元気に生きていて火災でパスポートを無くしたことを連絡すると、何と親父が私の旅行保険を払ってくれていました。その中に火災20万円の保証があることが分かり、日本に火災証明書を送り、20万円をブラジルで受け取ることになります。娼婦が部屋に客を連れ込んだ時は、私は妹に早変わりして、シーツを被って情事が終わるまで待たなければなりません。4週間くらい経ったころパスポートとトラベラーズチェックが受け取れました。その中から日割り計算で娼婦に家賃と食事代を渡しました。お金など要らないから一緒に居てくれと言います。ここは情を断ち切って、兎に角ブラジルまで行きたいことを理解してもらい、コスタリカからパナマのサン・アンドレス島にヒコーキで飛び立ちました。そして必ずブラジルからもう一度帰って来ることも約束してしまいました。

30/JAN/2016 No020 バルサVSアトレティコ 

リーガエスパニョール第22節 バルサVSアトレティコ 30/JAN、バルサVSアトレティコのリーガ首位攻防戦はバルサが2-1の逆転勝利を収め、3ポイントの差をつけリーガ連覇に向けて大きく前進しました。今回のアトレティコの陣形、動き、プレッシングはシメオネチーム最高の出来栄えの一つと思われます。ルーチョチームは先のマラガ戦、アスレティック戦に引き続き動きに切れがなく、ゲームに上手く入ることができません。シメオネチームは序盤から全力でバルセロナのボールの出所を圧迫、奪取、何度もパスをカットします。また攻めるときはラインを上げ、守る時は素早く下がり、スペースを与えず、前半の9分にコケに先制点を与えてしまうしんどい展開で始まります(コルチョネロはリーガ21試合で8失点しかしていません)。アトレティコの猛攻も時間の経過とともに徐々に弱まり、20分以降はバルセロナが敵陣に攻め入る場面が増え、29分にマスチェラーノからのパスをネイマールが受け、ジョルディ・アルバがつなぎエリア内深く切れ込んでマイナスのボールをメッシへ供給、これを目にも止まらぬ早い動きで高速シュートをポスト左隅に突き刺します。キーパーは全く動けませんでした。正にバロンドール5回受賞、移籍金250億の実力。追加点は38分、ダニ・アルベスからの普通の縦パスをルイス・スアレスが受け、上手く体を入れ替えDFの前に出ると、勢いに乗り右足で股抜シュート。えげつないルイシュート。 後半は、ラフなプレーに走ったアトレティコのフィリペ・ルイスとゴディンが退場になり、終盤に勝負を賭ける作戦に変えたようで試合の激しさは明らかに低下しました。バルサもゲームをコントロールして試合を終わらせる道を選択しました(少なくともそう見えました)。最後までゴールを狙うことが基本のバルセロナとしては少々物足りない選択肢です。 シメオネ監督の試合前日の会見。 「勝利のために自分たちの力を最大限に発揮すること、90分間を集中してプレーしなければならないこと。スアレスはバルサのシステムをさらに良いものに変えたと思う。あの3トップのすごいところは、互いの間に悪意がなく信頼関係があることだ。楽しそうに見える。サッカーが好きの人間は、そういったものを見るのが最高だ」 その他 情報 ■シメオネが監督に就任するまでのアトレティコは、勝利の意欲が無く、勝ことを忘れたダメチームでした。それを5年間で常勝チームに変えた手腕には敬服させられます。 今回も勝利の意欲と統制の取れた動きにシメオネ監督の才能と情熱が溢れていました。 ■マンチェスター・シティは2月1日、来季の新監督にペップ・グアルディオラ監督との3年契約を発表しました。 ■メッシ強奪!!! レアルは2011年から14年の間に、バルセロナのリオネル・メッシ獲得を三度試みるも玉砕しました。 ■スワレス談話! ネイマールはナンバー2だ、メッシからまだ学んでいる段階だね、現段階ではメッシには及ばないと明言しました。しかしながら、毎試合毎試合ネイマールは変化して、いつかナンバー1なるだろうね。ネイがプレーを楽しんでいて、謙虚であるところがとても好きなんだ。レオ(メッシ)は世界一、ピッチを離れると、驚くほど静かでシャイなやつだけどね。 ■バスケット選手のコービー・ブライアントは、スポーツ専門チャンネル『ESPN』とのインタビューで、当時世界ナンバーワンの選手であったロナウジーニョからトップチームにデビューして間もないメッシを紹介された11年前の思い出を告白しました。「あれはかなり前、バルサがロサンゼルスに来た時だった。親友であるロナウジーニョと話をしていると、『コービー、将来フットボール界で史上最高の選手になる男を君に紹介しよう』と言われたんだ」「思わず僕は、『何を言ってるんだ。君がベストだろう』と突っ込みを入れたよ。だが、ロナウジーニョは『ノー、ノー、この少年がいずれナンバーワンになる』と真顔で言うんだ」 「それがリオネル・メッシだったんだ。まだ17歳になったばかりの少年で、とても小柄だったよ。 ■ FIFA(国際サッカー連盟)が1月14日、レアル・マドリーとアトレティコ・マドリーに対し、18歳未満の選手の国際移籍を制限する規則(移籍条項第19条)への違反を犯したとして1年間の補強禁止処分を下しました。両クラブが選手の新規登録を禁じられたのは、2016年夏と17年1月の2期間。 風刺画 ■メッシ「試合に勝てたことも良かったけど、足が吹き飛ばず無事に残っていて良かった!」   ■フィリペ・ルイス「大袈裟だな、ただメッシの足を折りたかっただけなのに」

21/JAN/2016 No019 国王杯準決勝アスレティック・クラブ VS バルサ 

              先取点を祝う選手   国王杯準決勝 21/Jan/2016 アスレティック・クラブ VS バルサ 17/JANのリーガ対決から中2日をおいて、今回はサン・マメスへに舞台を移してアスレティック・クラブとのコパ1/4ファイナル第一戦はです。メッシとスアレスが不在の攻撃陣はムニールを真中に、左がネイマール、右にアルダ。リーガ対決でバルサに6-0と大敗したビルバオは、コパで雪辱を果たすべく立ち上がりから激しくプレッシャーを仕掛けたものの、前半18分に綺麗な速攻からバルサが先制に成功(0-1)、さらに25分には相手GKのエラーを逃さず追加点を決め(0-2)、前半30分にして大きく流れを引き寄せます。一方でアスレティックは終了間際に1点を返し(1-2)、カンプノウ決戦へと望みをつなぎます。今回もルーチョチームは集中力があり、前半ハーフタイムまではビルバオに2本しかシュートを許さず、危なげなく試合をコントロールしています。18分のムニール先制点は(アルベス→ラキティッチ→アルダが粘って3人を引き付けて前線のスペースにパス→これをラキティッチがドリブルで持ち上がりセンタリング→ムニールが押し込んでゴール)。ラキティッチのセンタリングは美しい三日月型(ドロー弾道)で絵に描いたようでした。アルダにボールを預ければ滅多なことでは奪われなく、溜めを作って良い場所にパスを出してくれることをアピールしました。   0-2で迎えた後半は、ルーチョチームはギアを緩めたのか、パスが不正確で全体としての動きがいまひとつ。これにアスレティック側のプレーが激しさを増していたことも加わりコーナーキックを後半だけで8回も与え、プレーはぶつ切り状態でした。   気のせいかセルジ・ロベルトは顔つきが精悍になり、ムニールは自信に満ちた印象がありました。   テル・ステーゲンも良い仕事をしました。彼にとってサン・マメスといえば、スーペルコパで4失点を食らい、苦い思い出のスタジアム。その始まりはサン・ホセの超ロングシュート(エリア外に出て頭でボールを処理し、空いたゴールに直接放り込まれた)で強い批判を浴び、リーガでのレギュラー獲りに失敗しました。今回の好パフォーマンスで痛手も少し和らいだでしよう。

19/JAN/2016 No018 バルサVSアスレチック・ビルバオ

          南米トリオ スアレス、ネイマール、メッシ   17/JAN/2016 バルサVSアスレチック・ビルバオ リーガエスパニヨーラ第20節、バルセロナは本拠地カンプ・ノウでアスレチック・ビルバオに6-0で勝利を収めます。試合前にメッシ5回目のバロンドールお披露目セレモニーがあり、喜びのバルサ11人のプレヤーと7万の観衆は沸騰寸前に湧き上がります。またバスクチームも一泡吹かせようと気合の入りまくり。今季のスペイン・スーパーカップでバルセロナを破り、6冠の希望を打ち砕いたビルバオだけに両チームとも溢れんばかりの運動量で、今シーズン最高に近い攻防戦で始まりました。しかしバルサの運動量が少し上回り徐々にゲームを支配していきます。<正に一人が走れば皆が走る>。 ダイナミックな動きと正確なパスでゴール前に押し寄せます。僅かにリズムが合わず、精度に欠け得点が生まれません。バスクチームは誇り高き伝統を持ち、クラブ創設依頼一度も2部に降格したことがなく、選手は殆どバスク人、高い運動能力を持つ民族です。余談ですが日本にやって来た宣教師のフランシスコ・ザビエルも厳密にはバスク人でした。   バルサは毎回アスレチックスの統制の取れた守備に苦戦をします。今回も攻めるときはラインを上げ、守るときは素早くラインを下げゴール前だけだキッチリ守ってきました。ビルバオはR・ガルシア、アドゥリスという攻撃の主軸を欠いた状態でバルセロナ戦に臨みます。4分にルイス・スアレスが一瞬の隙を突いて試合の流れを変えてしまいます。エチェイタが後逸したボールをドリブルでゴールに迫り、阻止しようと前に出てきたGKイライソスのファールを誘ってPKを獲得。GKにはレッドカードが提示され、一発退場。今季10度目となるPKをエースのメッシが左足でゴール右隅に決め、バルセロナが先制に成功します(1-0)。アスレチックは一人退場者を出したので残る85分間を10人でプレーせざるを得なくなります。残された選択肢はゴール前の守りを固めてスペースを消しつつ、速さのあるウイリアムスのカウンターアタックが唯一の手段。しかし生半可な守りでは、この日のトリデンテの嵐をしのぎ切ることは困難でした。20分にネイマールがドリブルシュート、23分にラキティッチがボレーシュート、28分にA・ビダルがミドルシュート。どうにか粘っていたビルバオの壁が破られたのは30分のことでした。追加点はブスケツがボールを奪い、ルイス・スアレスがドリブルで攻め上がり、左のネイマールにラストパスが渡り軽やかな左足のチップキックでネットを揺らします(2-0)。ここ数試合はゴール運がなかったスアレスに当たりが復活。68分にはアルダのセンタリングを胸でトラップして右足アウトサイドで5-0のゴールを決めると、82分にはブスケツがゴールライン前から折り返したボールを頭でねじ込むみ6-0とします。   以下は雑談を3つ -- - ! ネイマールの獲得にかかる費用はなんと512億円という新聞記事が御座いました。バルセロナは同選手に1億9000万ユーロ(約231億円)の移籍金を設定しています。これに5年×年俸2000万ユーロ(約26億円)、税金などの諸費用を合わせると、その費用は合計512億円にのぼるようです。世界一裕福なクラブの一つであるパリ・サンジェルマン(PSG)からの関心が噂されています。   バルセロナのクラブ幹部は元マドリーの選手からメッシにバロンドールトロフィーを渡されることに難色を示し、1961年にスペイン人で唯一バロンドールを獲得したルイス・スアレス氏か1994年にバロンドールを獲得したフリスト・ストイチコフ氏に変更希望を出したが受け入れられなかったそうです。 2017年のバルサ冠スポンサーはRAKUTEN(楽天)になるかも知れません。    

12/JAN/2016 No017 2015年FIFAバロンドール(年間最優秀選手賞)受賞

                    表彰式前のイニエスタ、ネイマール、メッシ、アルベス   リオネル・メッシがコングレスハウス(チューリッヒ)で2009年、2010年、2011年、2012年に続く5度目の栄冠に輝きました。 レオ・メッシ。得票率は41.3%と、2位クリスティアノ(22.7%)、3位ネイマール(7.8%)に大差をつけての受賞でした。 下記にレオ・メッシの受賞インタビューを記載いたします。 「ここへと戻ってくることは、僕にとってとても特別な瞬間です。この2年間は客席から、クリスティアノが受賞する様子を見てきましたから(冗談風に)。5度目の受賞なんて信じられませんし、子供の頃には想像もしてませんでした。僕に投票してくださった方々、チームメイトに感謝します。彼らがいなければ、この賞を得ることは不可能だったことでしょう。この賞をチーム、家族、そして世界中で僕を応援してくれている全ての人たちに捧げます。僕はフットボルに感謝しなければなりません。僕はフットボルで苦いも甘いも経験し、それによって僕は成長し学んできました。以上です。ムーチャス・グラシアス」 ヨハン・クルイフ、ミチェル・プラティニ、マルコ・バンバステン、それにクリスティアノらのバロンデオロ三度受賞者たちを、これで二つ引き離しました。 レオ・メッシは、長年の間レアル・マドリードFWクリスティアーノ・ロナウドと同賞を争ってきました。2人が現代サッカーを支配しているのは事実ですが、ロナウドよりもメッシの方が優れた選手でしよう!ロナウドがこれだけ長い間メッシと争い続けることができたのは、彼がけた違いの選手で、史上最も優れたゴールスコアラーです。しかし、メッシは史上最も優れたプレイヤーでしよう。メッシはゴール以外にもドリブルやパスでチャンスメイクに関わることができますが、ロナウドからゴールを奪ってしまうと何も残らなくなってしまいます。現在はメッシの時代で、ロナウドはそれに必死に対抗していた感が御座います。メッシがこれまで獲得してきたタイトルにそれが反映されています。メッシはクラブで26のタイトルを獲得して26回のタイトルマッチのうち24試合で得点を決めています。もちろんロナウドも多くの得点を決めてきた事は間違いありませんが、しかし彼はビッグゲームになると姿を消してしまいます。 スペイン紙『マルカ』の記事に、レアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドとバルセロナのダニエウ・アウベスが滞在先のホテルで口論に発展。さらにFIFAワールドイレブンの記念撮影を行う際にも、ロナウドはメッシとネイマール、そしてアンドレス・イニエスタとはそれぞれ会話を交わし挨拶したが、ダニエウ・アウベスとだけは会話を一切しなかったと報じられています。原因は、昨年11月のクラシコ後にアウベスが「ロナウドはあまりにも主役になろうとしすぎる」の発言を指摘しています。およそ2ヶ月も前の発言ですが、ロナウド本人にとってはいまだに忘れ切れないのかもしれません。   最後に2014年ビッグチームの収入と選手の給与総額をご覧ください。 (左がチーム収入、右が選手の給与)   1位 レアル・マドリー 747億円 約360億円   2位 マンチェスター・ユナイテッド 704億円  約351億円   3位 バイエルン・ミュンヘン 663億円  約291億円   4位 バルセロナ 659億円  約331億円   5位 パリ・サンジェルマン 645億円  約314億円   6位 マンチェスター・シティ 564億円  約327億円   7位 チェルシー 528億円  約308億円   8位 アーセナル 489億円  約266億円  

05/JAN/2015 No015 バルサ観戦記年末/年始

サッカー記事 第3弾 20/DEC/2015 横浜で開催されたCLUB WORLD CUPの決勝は見事なバルサの勝利に終わりました。内容的にはまさに圧勝でした。一点をとるまでは少し苦労しましたが、その後の展開はボールを回して完全にゲームを支配しました。特にルイス・スワレスの2点は素晴らしかったです。スワレスの1年目はリズムにびみようなずれがありましたが、2年は日増しにリズムがあってきました。最近はブスケとのコンビプレーがぜっみょうです。スワレスの試合後のインタビューにもありました、ボールが出るのを待つのではなく、スペースを探して飛び出す、それを見てイニエタやブスケがボールを送りだすようです。またトラップとボールスピードも計算できてきて飛び出すタイミングもわかってきたとも言っていました。横浜での2点目もブスケからイニエタにボールが渡る瞬間にダッシュを始めたそうです。世界チャンピオン3回獲得、またサッカー史上に新しい記録を刻みました。日本からバルセロナへの帰り、ロシア上空が悪天候で通過出来ず、通常でしたら約12時間のフライトが南回りになり17時間かかりました。そんな機内でダニーアルベスがマイクを持ち、ネイマールが日本に忘れ物をしたので取りに帰り時間がかかっております。あるいは世界チャンピンのトロフィーを世界の国々に見せて回っています。などの気晴らしジョークもあったようです。   30/DEC/2015 バルサVSベテス、世界チャンピオン後の凱旋試合とあり気合入りまくりで4-0の圧勝に終わりました。   02/JAN/2016 年が明けて新年の初試合はバルセロナダービー、対戦相手はエスパニヨール。このエスパニヨールは毎度の事ながらバルサが相手になると急に元気になり死にもの狂いで向かって来ます。この試合でもファールギリギリのボデイプレスを受けてバルサ流サッカーが寸断され窒息寸前で0-0の引き分けに終わりました。欲しかったのはメッシとスワレスのクロスバー直撃弾です。あのどちらかが入っていれば結果は変ってでしよう。メッシのフリーキックはクロスバーの上部をヒットしましたから、あと30cm弾道が低ければ---入っていたでしよう。スワレスのシュートはポールの真中にヒットしましたから、あと10cm左にズレていたら---。確かにエスパニヨールの選手は見違えるようなファイトを見せました。しかしバルサの選手にもキレが足りませんでした。年末・年始の食べ疲れと飲み疲れが見受けられました。06/JANは国王杯1/8で再び対戦します。次回はファールギリギリのボデイプレスに負けないで勝つと信じています。   06/JAN/2016 今回もペリコ(エスパニヨールのニックネーム)は試合開始から統率の取れ激しい守備とカウンター狙いでやってきました。ところがバルサ選手も三日間の休息と練習で体調を上げてきました。そうなると少々のプレスに負けるわけがありません。特にネイマールの左からの切り込みが素晴らしく絶好調に見えました。試合は開始9分にダニ・アルベスが右のメッシへ送ろうとしたパスをマルコ・アセンシオがカットし、フリーウエイのバルサ陣内を独走。エリア前でパスを受けたカイセドがワンタッチでマスチェラーノをかわすと、左足でゴール右端に蹴り込みます(0-1)。ゲーム序盤は4日前のようにエスパニヨールが良い感触を見せます。しかし13分に同点ゴールが生まれます。エリア前の攻防戦でアンドレス・イニエスタが僅かな無人のスペースに魔法のパスを出します。それに反応してメッシが飛び込み左足シュートでねじ込み1-1! わずか4分で同点に追いついたのが、この日の動きの良さを物語っています。そして1-1のままハーフタイムを迎えるかと思われた44分に、メッシの気迫のミサイルフリーキックがクロスバー下部を直撃しゴールに突き刺さり逆転に成功! 02/JANのフリーキックで失敗した30cmの誤差をキッチリ修正してきました。後半も49分に追加点が生まれ3-1。バルサは最後までバルサ流のサッカーをしたのに対して、エスパニヨールは後半途中から勝利を諦め玉砕戦法に出た印象があります。イエローカード10枚、そして退場者2名。スポーツは体調(フィーリング)が一番と思われます。人に厳しく自分に優しくではなく、常に自分厳しく(pepの哲学---?)